アートとテクノロジーの邂逅

―考えるためのデザイン―

アーティスト/デザイナー
長谷川愛(はせがわ・あい)

「スペキュラティヴ・デザイン」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
とりわけ未来志向のプロジェクトに向く概念だとしてビジネス界でも注目されつつあるが、実態はあまり知られていない。

スペキュラティヴ・デザイン提唱者アンソニー・ダン氏に師事し、テクノロジーと人がかかわる問題をテーマとする作品を手掛けるアーティストの長谷川愛氏に話を聴いた。

いつの間にか極小化したデザインの意味

今年1月に発行された『20XX年の革命家になるには──スペキュラティヴ・デザインの授業』は非常に刺激的な内容でした。

長谷川 ありがとうございます。この書籍ではスペキュラティヴ・デザインの提唱者で、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート時代の恩師でもあるアンソニー・ダン氏(トニー)の『より大きな現実へ』という論考を紹介しています。トニーと、彼のパートナーであるフィオナ・レイビー氏は、この論考で機能不全に陥っている現状の延長線上に未来の可能性を考えていいのかと問題提起しています。

想像力豊かな若手デザイナーに現状をどうにかしようと呼びかけることは尊いエネルギーを浪費させるだけではないか、現実から離れてどういう世界に住みたいのかを自由に考えさせるべきではないかといったことを指摘しています。

*長谷川さんの著書「20XX年の革命家になるには──スペキュラティヴ・デザインの授業」

住みたい世界から考えるとは、まさにバックキャスティングですね。ただ、一般のビジネスパーソンにとって理想や未来を語ることは簡単ではありません。だからこそ、アートやデザインに期待するのだと思いますが、改めてスペキュラティヴ・デザインとは何か、教えてください。

長谷川 デザインとは本来意味が広い言葉で、建築ならばどういう生き方をしたいかといった哲学までも包含しています。ところが、プロダクトデザインになると急に意味がそぎ落とされ、人々が欲しがるものを作ることがデザインの役割のように語られます。トニーたちは、物事を考えさせるためのデザインをクリティカルデザインと呼び、さらにテクノロジーを取り入れたものをスペキュラティヴ・デザインとしました。新しいテクノロジーが世に出ることで起こり得る未来の姿や将来のプロダクトに近い作品を提示することで、人々により一層リアルに考えてもらうことが狙いです。

たとえば、企業は商品開発の際にペルソナを設定しますが、どうしても紋切り型になりがちです。現実の人間はもっと複雑で、企業はその複雑さを踏まえた上で人々の幸せな未来とは何か、彼らのニーズを反映するプロダクトとは何なのかを考えなければなりません。そこでデザイナーであるトニーたちはテクノロジーを駆使し、さまざまな考えるためのプロップ(仕掛けのある小道具)を創りました。現在は文化人類学や哲学、社会学、経済学などの専門家と連携し、スペキュラティヴ・デザインに人文系の知見を入れてさらに深堀しようと取り組んでいます。

SFやファンタジーで上がる解像度

テクノロジーと人文系の融合は重要ですね。日本でも文理融合やリベラルアーツ教育の重要性が言われていますが、具体的な内容が分かりにくいです。たとえば、SF映画を10本観ることから始めようと言われれば分かりやすいのですが……。

*『ALT-BIAS GUN(オルト・バイアス・ガン)』

長谷川 SFと、プロップやプロトタイピングはつながるところがあります。ブラック・ライブズ・マター(Black Lives Matter)活動を反映した作品『ALT-BIAS GUN(オルト・バイアス・ガン)』は、実はSFアニメに着想を得ました。

オルト・バイアス・ガンは、警官に射殺された黒人被害者の顔写真を学習しているので、誤解で撃たれやすい顔を判別できます。銃口を向けた先にその顔があったとき、銃の持ち手に「いま撃とうとしているのはバイアス(思い込み)ではないか」と警告し、さらに引き金を3秒間止めます。わずか3秒ですが、それでも救える命があるはずです。

事実、警官に「IDを出せ」と言われて、ポケットから出そうとした瞬間に射殺されるケースがあります。しかし、その反対にIDを出すふりをして警官を銃で撃つケースもあって、警官は強いストレス下で仕事をしています。それが偏見や思い込みのもとで、現状は双方に不幸な状況だと言えます。

オルト・バイアス・ガンが製品化されれば悲劇を減らせるかもしれないですね。

長谷川 そうかもしれませんが、実現しないと思っています。このプロジェクトでは「誰にとっての銃なのか」「銃のあるべき姿とは」などを議論した結果、テクノロジーは銃の開発ではなく、社会設計に入れるべきという結論に至りました。

犯罪を作り出しているのは社会だし、アメリカは黒人を犯罪者にするように社会が成り立っているので、銃を変えても社会は変わらないというわけです。

このように普段は見えない社会の姿が見えたり、人間と社会の解像度が上がったりするのがSFやスペキュラティヴ・デザインの良いところです。オルト・バイアス・ガンのような製品は大企業が取り組めば作れるはずなのに作っていない、それはなぜなのか、という分かりやすい問いになっていると思います。

解像度が上がるというのは非常に腹落ち感があります。当社では合意形成の仕組みとして「視覚会議」を提供しています。合意形成の重要性は周知されていますが、合意の解像度を上げることは容易ではありません。企業において大切なのは方向性や足並みをそろえるための合意形成であり、そのための仕組みを持つことだと思っています。

*『(IM)POSSIBLE BABY, CASE 01: ASAKO & MORIGA(インポッシブルベイビー)』

長谷川 興味深いテーマですね。スペキュラティヴ・デザインは議論を呼ぶためのものではありますが、合意を得る大変さを常々感じています。将来、同性間で子どもを作る時代になったらどうしたいかを問う作品『(IM)POSSIBLE BABY, CASE 01: ASAKO & MORIGA(インポッシブルベイビー)』では、レズビアンカップルのDNAから子どものビジュアルを作り、家族写真を仕立ててドキュメンタリーとして放送しました。視聴した方からは賛否両論が寄せられ、「社会に男性はいらないということか」「同性カップルばかりになったら少子化が加速する」といった誤解に基づく意見も散見されました。

この作品は男性が必要かどうかは問うていませんし、同性婚で少子化が進むというのは誤解です。それらは啓もうする必要がありますが、ファクトを示しても「フェイクだ」と言われることもあるんです。また、1割くらいは「血縁主義を強固にする」などの本質を突いた批判もあり、それについて熟議しようとすると、またかみ合わないことが出てきて……。全員の足並みをそろえるのは本当に大変で、合意形成にこそテクノロジーが必要だと思いました。

当社ではハッカソンの際に情報の水準を揃えるために、インプットセミナーを実施したり、リサーチの時間を設けたりしています。SF映画を見るのもよいですね。

長谷川 インポッシブルベイビーはドキュメンタリーだったので、「私は子どもが持てない」「世の中に求められていない」など、一人称の世界が描かれたときにシンパシーを感じ、意見を変えた方が多かったです。ただし、難しいのはプロパガンダ作品でもそれができるということ。「敵が攻めてくる、軍国主義に走るしかない」みたいな映画もできますよね。だからこそ、バランス感覚を養うためにいろいろな学問を学ぶ必要があります。統計やデータを読むリテラシーは当然必要だし、バイオテクノロジーのこれがなぜ危険なのかを理解できないとダメ。サイエンスやテクノロジーの分野と、倫理や人文系の分野と、どちらか一方を分かっていれば良いのではなく、それらは両輪として持つべきだと思うんです。

これからSFをプロトタイピングに使う企業が増えてくる可能性があります。アドバイスはありますか。

長谷川 SF小説の審査をしている方から「とても面白い小説だが、登場する女性の人物像が古すぎて審査に困る」という話を伺いました。それは可愛くて従順な、いわゆる男性にとって都合が良いタイプの女性。SFとは本来そういうものではないはずですよね。一部の読者はその小説を読んで嬉しいかもしれませんが、ほかの人たちにとっては不自由な作品です。

そうならないためにSFで描くテクノロジーと主人公が決まったら、反対側にはどんな人がいるかを考えてください。一番難しいのは盲点を探すこと。新しいテクノロジーが世に出たときにババを引くのは彼らです。一体何が盲点になるのか、社会にはどんな人がいて、どんなことを考えているのかを知ってほしいです。

盲点を探すというのはエンジニアにとって耳が痛い話かもしれませんね。

長谷川 フィクションだからこその自由もあります。主人公は未来のテクノロジーの反対派として描くことが多いので、あえてゾクッとさせたり、刺激を与えたりして考えさせるのも一つの手法でしょう。ここで重要なのは誰がどういうスタンスでそのテクノロジーを語るのかという設計です。ここが杜撰だと、刺激を通り越して「恐怖ポルノ」に成り下がってしまいます。人間は恐怖を感じると、それを撲滅する方向に向かいがちです。本当はいろいろな考えがあるはずだし、そもそも危険なのかという問いもあるのに思考停止してしまうのです。

SFはメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』に始まって冒険活劇として花開いたものの、恐怖ポルノに陥った時代がありました。しかし。本来のSFはもっと思索的で哲学的だったという反省から、スペキュラティヴ・フィクションという言葉が生まれました。スペキュラティヴは思索的、投機的、批判的といった意味。最初にスペキュラティヴ・デザインを知ったときはピンとこなかったのですが、スペキュラティヴ・フィクションという言葉を聞いて、その意味がスッと入ってきました。

スペキュラティヴ・デザインやSFにおける倫理の話は書籍にもチェックリストを設けていますので、ぜひ参考にしてください。

ありがとうございました。

プロフィール

アーティスト/デザイナー
長谷川愛(はせがわ・あい)

アーティスト、デザイナー。生物学的課題や科学技術の進歩をモチーフに、現代社会に潜む諸問題を掘り出す作品を発表している。
岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(通称 IAMAS)にてメディアアートとアニメーションを勉強した後ロンドンへ。
数年間Haque Design + Researchで副社長をしつつデザイナーとして主に公共スペース向けのインタラクティブアートの研究開発に関わる。
2012年英国Royal College of Art, Design InteractionsにてMA取得。2014年秋から2016年夏までMIT Media Lab, Design Fiction Groupにて准研究員兼大学院生。
2017年4月から東京大学大学院にて特任研究員・JST ERATO 川原万有情報網プロジェクトメンバー。
著書「20XX年の革命家になるには──スペキュラティヴ・デザインの授業 」を出版。